太平洋戦争開戦から77年の8日、宮古市で体験集『戦争の時代を生きて』第3集の発行を記念した発表懇談会が開かれました。宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会(前川慧一代表)が主催し、70人が参加しました。

 体験集に寄稿・証言した16人全員(代読者を含む)が、戦争の悲惨さを話しました。

 ▽原爆投下直後の広島で死体収容に従事。被爆した住民の「水くれー」の叫びに応えられず、無念だった▽兄2人が妻子を残し、ミンダナオ島と沖縄で相次いで戦死。国のための戦死が「名誉」とされ、悲しみをこらえて生きてきた▽旧日本兵が「反日分子」を白状させようと母親から赤ん坊を取り上げ、高く放り投げて銃剣で突き刺し、殺した(フィリピンで目撃)-など悲惨な実態を告発しました。

 ▽原爆投下直後の広島で死体収容に従事。被爆した住民の「水くれー」の叫びに応えられず、無念だった▽兄2人が妻子を残し、ミンダナオ島と沖縄で相次いで戦死。国のための戦死が「名誉」とされ、悲しみをこらえて生きてきた▽旧日本兵が「反日分子」を白状させようと母親から赤ん坊を取り上げ、高く放り投げて銃剣で突き刺し、殺した(フィリピンで目撃)-など悲惨な実態を告発しました。

 ▽原爆投下直後の広島で死体収容に従事。被爆した住民の「水くれー」の叫びに応えられず、無念だった▽兄2人が妻子を残し、ミンダナオ島と沖縄で相次いで戦死。国のための戦死が「名誉」とされ、悲しみをこらえて生きてきた▽旧日本兵が「反日分子」を白状させようと母親から赤ん坊を取り上げ、高く放り投げて銃剣で突き刺し、殺した(フィリピンで目撃)-など悲惨な実態を告発しました。

 最後に「改めて戦争の惨禍と体験を書きとめ、語り継ごう。憲法9条を守ろう」と申し合わせました。